タイは熱帯に分類され一年中温暖な気候で、モンスーンの影響を受け5月から10月にかけてスコール等の雨季となり特に北部山岳地帯、及び中部では雨季の終り前に雨量が多くしばしば洪水を引き起こします。
国土は日本の約1.35倍で大きく4つに分けられます。
 北部は山岳地帯でタイの最高峰、インタノン山(ドーイ・インタノン)2,576mがあります。
 東北部は雨量の少ない台地が広がっています。
 中央部はチャオプラヤー川の流域にデルタ地帯が広がり、稲作が行われ世界有数の穀倉です。
 南部はマレー半島に細長く延びゴム園が広がっています。

1782年以前のタイは

現在のタイの位置にはモン族、クメール人が先住していた。タイ民族は中国華南から南下して此の地に定住した。
タイ族の最初の国家は1238年にタイ中部にスコタイ王朝がモン族やクメール王朝の支配を退け成立しました。
又、タイ北部に1259年ラーンナー王朝がタイ族の王朝として成立しました。

アユタヤ王朝

タイ中部・南部ではその後アユタヤ王朝が成立、隣国アンコールのヒンドゥー教国に対しアユタヤ王朝は上部座仏教を国教とした。
 アユタヤ王朝は400年以上続き、この間日本人傭兵の津田又左右衛門、山田長政が活躍、日本人町が造られました。

767年にアユタヤ王朝はビルマ軍の侵入により崩壊し、アユタヤは破壊されました。
アユタヤは破壊されましたが、ビルマは清朝との戦いが起こり、ビルマ軍がタイから撤退、華僑のタークシンがトンブリを首都としてトンブリ王朝を成立させました。

チャクリー王朝

タークシン王は後年精神に以上をきたし、1781年トンブリ王朝で官吏プラヤー・サンカプリーがタクシン王を退位させた、摂政となり王位をねらた。此れをカンボジアに遠征中のソムデットチャオプラヤー・マハーカサットスック『ラマ1世』が阻止し、官吏らに推挙され、チャクリー王朝(現王朝)が成立しました。
ラマⅠ世は王都をチャオプラヤー川の東岸の中洲『ラタナコーシン島』に移し、バンコックの建築が始まりました

タイ王国

ラーマ1世の時代はタイ各地に軍閥のような勢力が在り、中央集権国家とは成っていなかった。
ラーマ5世(チュラーロンコーン大王)は1868年即位するとラオス、カンボジアに進出するフランス、イギリスに対抗する為国内の中央集権化、国内の近代化、チャクリー改革を進めました。
改革はそれまでの華人の優遇策を配し、行政に官僚制を導入、議会制度の前身である国政協議会と枢密院を設置等が進められた。

日本からタイ王国へ

日本からタイには日本航空、全日空、タイ航空の他、アメリカの航空会社も直行便を運行して、タイへは一部の便(プーケット行きの航空券で搭乗)を除きクルンテープ(バンコク)スワンナブーム国際空港で入国する事になります。
2010年8月にエアポート・レール・リンクが開業、MRT(地下鉄)、BTS(高架鉄道)と接続しています。

国内交通・タイ国鉄

タイ国鉄は4系統の幹線(北線、東北線、東線、南線)とメークローン線で総延長4千キロ余りで東南アジア最大です。北線はクルンテープ・ファランボーン駅~チェンマイ間 751キロ、東北線は北線のバーンパーチ~ノンカイ間 531キロ(クルンテープから621キロ)の本線とタノンチラ~ウボン・ラチャタニ間 309キロ(〃575キロ)のウボン線、東線は北線のファランポーン~アランヤプラテート間 254キロ、南線はトンブリ~スンガイコーロック間 1143キロです。

タイの旅行情報へ