1781年トンブリ王朝で官吏「プラヤー・サンカプリー」が「タクシン王」を退位させた、摂政となり王位をねらた。
 此れをカンボジアに遠征中の「ソムデットチャオプラヤー・マハーカサットスック『ラマⅠ世』」が阻止し、官吏らに推挙され、チャクリー王朝(現王朝)が成立しました。
 ラマ1世は王都をチャオプラヤー川の東岸の中洲『ラタナコーシン島』に移し、バンコックの建築が始まりました。
『クルンテープ・・・・』の名称はラーマⅠ世により遷都の際に付けられました。
 行政上は『プラナコーン県』の県都でトンブリーと統合して『ナコーン・ルワン・クルンテープ・トンブリー』1972年以降は『クルンテープ・マハーナコーン』と改称し、略して『クルンテープ(=天使の都)』が使われています。
バンコックの儀式的正式名称は大変長く、この都を賞賛する言葉がつづきます。
『クルンテープ・マハナコーン・・・』は

ラーマⅠ世は1782年チャオプラヤー川近くまで勢力を広げていたビルマのコンバウン王朝に備える為王宮をチャオプラヤー川の東岸に遷都し王宮の建設が始まりました。
王宮は白い城壁で囲まれ、宮殿郡と王家の寺院が歴代の王により増築がおこなわれました。
宮殿には3つの宮殿郡(プラマハーモンティエン宮殿、チャックリーハープラーサート宮殿、ドゥシットマハープラサート宮殿)と王室専用寺院ワット・プラケーオ、等が建っています。
 現在国王はこの宮殿には居住せず、公式行事等に使用されています。

王宮とその周辺のページ

ワット・ポーのチャオプラヤー川対岸に暁の寺として日本でも知られたワット・アルーンが建っています。
又、少し上流に王室の御座舟を保管、展示する『ローヤル・バージ・ミュージアム』が在ります

トンブリ地区のページ

ラーマⅤ世の時代に成るとラタナコーシン島の王宮だけでは王族の住居を確保出来なくなり、ドゥシット地区に宮殿(王宮内のドゥシットマハープラサート宮殿とは別です)が作られました。
この宮殿郡の中心の建物がウィマーンメーク宮殿(ウィマーンメーク・マンション)でラマⅤ世は此処に一時居住しました。

ドゥシット宮殿とその周辺のページ
中華街とその周辺のページ