・ ベトナムの正式名称は『ベトナム社会主義共和国』 英語では"Socialist Republicof Vietnam”です。
ベトナムは東南アジア・インドシナ半島の東南に位置する南北に細長い国で、 北に中華人民共和国、西にラオスとカンボジアに接し、東側は南シナ海を挟んでフィリッピンです。
・面積は日本よりちょっと小さい32万8,241平方キロメートルで南北約1,700キロメートル。 首都は北部のハノイ、ベトナム最大の都市は南部のホー・チ・ミン・シティーで両都市は 約1,600キロ離れています。

越人王朝の成立

 ・10世紀に中国唐の支配が国内の混乱から後退、939年『呉朝』が成立、それ以降越民族国家の時代が続き 1009年ベトナムにおける最初の長期政権『李朝』(~1225年)が成立し、1010年太祖"李公蘊"は今のハノイに 遷都しタンロン(昇竜)と名しました。

 ・『李朝』以降『陳朝(1225年~1400年)』『黎朝(1428年~1527年)』タンロンを都とする王朝が続き、 1527年~北部と南部が分裂(南北時代・~1777年)したが、1771年南部で阮岳ら三兄弟が反乱【西山の乱】南部を支配していた 『広南阮氏』が鎮圧に手間取る間に北部の『鄭氏』が大挙して南下、『西山朝(1786年~1802年)』が成立。

広南阮氏の時代 王都【フエ】

・1777年シャムに亡命していた『広南阮氏』の阮福映がシャムやフランス人宣教師などの支援を受け『西山朝』への攻撃、 10年に及ぶ戦いの末『西山朝』を打倒し、1802年に富春(現在のフエ)に都を定め、年号を「嘉隆」とし『広南阮氏』を再興した。
(1802年以降をこの王朝を『越南阮朝』と呼ぶ)
阮福映は初代皇帝「嘉隆帝(ザーロン帝)」で在位1802年~1819年。
・建国当初はヨーロッパ諸国、特にフランスとの関係は良好でキリスト教を排除する事も無かったが、二代「明命帝(ミンマン帝在:位1819年~1840年)」は集権化政策をとり、此れが国内北部、南部の反発を招き、シャムとの関係を悪化させ、又、キリスト教を禁止、排外政策に転じたフランスとの抗争を招いた。

フランス領インドシナ

・『阮朝』は中国でのアヘン戦争でのヨーロッパの軍事力に脅威を感じながらも鎖国政策、キリスト教弾圧政策を続け、 1858年の仏西連合郡のダナン侵攻、占領をゆるした。
・ 第4代皇帝「嗣徳帝(トゥドゥック帝:1847年~1847年)」は普仏戦争の敗戦処理に忙殺されるフランスとの間に1974年甲戌条約(第2次サイゴン条約)を締結した。
・1883年嗣徳帝(トゥドゥック帝)が死ぬと『阮朝』では1年間に皇帝の廃立、毒殺、崩御と4人も皇帝が変わる混乱の中フランスはフエに侵攻。

・ 1885年にはフランスが中国に勝利し天津条約により中国はフランスの保護領化を認め『阮朝』をフランスの保護国とし、実質フランスの支配下に置かれた。
・ 1914年第一次世界大戦が起こると、阮朝の内部では「維新帝:ズイタン帝」を擁して対仏戦を計画、失敗する。
・ 「維新帝」に変わって「啓定帝(カイディンン帝:1916年~1925年)」が即位
・ 「啓定帝」が死ぬと[保大帝(パオダイ:1925年~)」が即位、「パオダイ」は幼少からフランスに留学、1932年帰国し政治改革を目指すが内外の反発から挫折、政治への関心が薄れ、ほとんどを南部の高原リゾート『ダラート』で過ごした。

第二次世界大戦・南北分裂

・ 日中戦争時に日本はベトナムにも進出、1945年3月には反仏革命が起こり「保大帝」は『ベトナム帝国』として対フランス独立を宣言しました。
日本の敗戦でベトナムに革命(ベトナム八月革命)が起こり、退位『阮朝』は滅亡しました。「ホー・チ・ミン」は独立を宣言し『ベトナム民主共和国』とした。
・ ベトナムには中国、イギリス、フランスが再度進出、傀儡政権を樹立し再度植民地化しました。
これに対し第一次インドシナ戦争が起こり、『ディエンビエンフーの戦い』でフランスが敗退、1954年の『ジュネーヴ協定』で北緯17度線を境として南北に兵力を分け、全国統一選挙を実施するとしたが、フランスに変わって南ベトナム政府を支援するアメリカは選挙を実施せず、南北の分断が決定した。

ベトナム社会主義共和国

・ 1965年2月7日アメリカ軍の北爆が始まる・・ベトナム戦争。
・ 1975年4月30日サイゴン陥落。
「ベトナム民主共和国は」は1976年7月2日「ベトナム社会主義共和国」に改称、統一国家が成立しました。

・ベトナムへの入国は航空機では【ノイバイ空港(ハノイ)】か【タンソンニャット空港(ホーチミンシティー)】になります
・ノイバン空港からハノイ市内は約30Km、タクシーで約1時間・料金は400,000VND【20US$=1,600円(Sep.2011)】
・タンソンニャット空港から市内は約5Km タクシーで約30分(日中は市内の渋滞と一方通行が多いので)
料金はメーターで約700,000VND【¥=300円(〃)】
注:ホーチミンシティーのタクシーは結構トラブルに注意が必要です、以下のタクシーに付いてを見て。

・ベトナムの観光で訪れる様な都市にはメーター制のタクシーが有り、ホーチミンシティー以外では料金で不快な思いをする事は無いと思います。
・ホーチミンシティーで空港から市内へのタクシーではほとんどメーターの2倍(10US$) を要求される。 中には空港までの前客の料金(?)のままメーターを紙で隠して上乗せして請求する等あり、タクシーに乗るときには 必ず「メーター」と声を掛け確認をする必要があります。
・市内でタクシーに乗る場合の最良は高級ホテルのコンシェルジュに呼んでもらう。ホテルの客待ちタクシーは ほとんどメーターでOK!

・最近ホーチミンシティーでは『MAILINH GROUP』のタクシーが多くなり、この会社タクシーにはメーターの料金で乗る事ができました。

・ハノイでは客が乗りドアーを閉めると自動的に動き出すメーターのタクシーが多く(全部?)。
ホテル等で前客が降りた後一旦ドアーを閉め、再度開けて乗る必要がある、降りた前客が外人等で開けたまま降りた場合 乗る前に一度ドアーを閉め再度開けて乗る(日本と違い自動では無いので自分でやらなければならない)

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