フィレンツェは12世紀には毛織物の生産で繁栄、12世紀末に教王派と皇帝派の市政を争い、教王派が新興富裕市民層の支持を得て勝利した。
15世紀に金融業で成功したメディチ家が市政を担当、フィレンツェの支配者と成った。1469年に大ロレンツォがメディチ家の当主と成り全盛期を迎え、ボッティチェッリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロ等、芸術の花ひらくルネッサンス文化の中心地と成った。

   ドゥオモ(花の大聖堂)

中央に『ドゥオモ(サンタ・マリア・フィオーレス大聖堂)』と左に『サン・ジョバンニ洗礼堂』そして『ジオットの鐘楼』

サンタ・マリア・ノベッラ駅前の広場からノベラ教会の左のバス通りパンザーニ通りに道なりにチェッレタニ通りを。駅から約500mで洗礼堂の前にでます。

   ヴェッキオ宮殿

ヴェッキオ宮殿は1299年から15年をかけてアルノルフォ・ディ・カンビオによってフィレンツェ共和国の政府庁舎として建てられました。
現在も市庁舎として使用されています。

ドゥオモと洗礼堂の間を南に向かう(ドゥオモに向かい右方向)、
カルツァイウオリ通りを約200mでショリーア広場に出ます。

   ウフィツィ美術舘

ウフィツィ美術舘の建物は1560年トスカーナ大公コジモⅠ世に治世下に行政府の建物としてヴァザーリの設計で建築された。
 ウフィツィ(Uffizi)とはオフィスを意味するイタリア語です。
アルノ川対岸からウフィツィ美術舘のファサードを写しました。
 建物は2本の回廊を此の部分が結ぶU字型をしています。

・ ショリーア広場のヴェッキオ宮の向かいがウフィツィ広場その両側の最上階が美術舘。

・ アルノ川に架かる『古い橋』を意味する此の橋は川の氾濫等で何回か建て直され、 現在の橋は1345年に建築されました。橋の上には宝飾店が並び、最上部をヴァザーリの回廊が通ります。

※※※ (1)ヴェッキオ橋 ※※※

・ 『ヴェッキオ橋』はフィレンツェで最も古い橋で、第二次世界大戦でもフィレンツェの橋で唯一つ 残りました。
フィレンツェのアルの川には古くはローマ時代に此の場所に橋が架けられたと伝わり、最初に文書として残るのは996年です。
以後1117年、1333年に洪水に遭い架け替えられ、ヴァザーリの日記に「健在の橋は1345年タッデオ・ガッディのデザインで架けられたと」あります。

・ ウフィツ美術舘のファサード側がアルノ川、川沿いに100m。

サン・ロレンツォ聖堂とメディチ家礼拝堂

『サン・ロレンツォ教会』はメディチ家が改築した教会で、『メディチ家礼拝堂』は『君主の礼拝堂』『新聖具室』の2棟の増築された教会の付属建築の総称です。

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   サンタ・クローチェ聖堂

サンタ・クローチェ聖堂はフランシスコ会の世界最大の教会で、イタリアの守護聖人である聖フランシスコが最初の聖堂を建てたと伝えられる聖堂です。
現在の聖堂は1294年からアルノルフォ・ディ・カンピオの設計で建設だ始まり、1442年に完成しました。
サンタ・クローチェ聖堂はサンタ・クローチェ広場に面して建ち、フランシスコ会のシンボルの『タウ十字(T字)』の平面を持つ建物です。
 ファサードは大理石で19世紀中頃、ネオ・ゴシック(ゴシック建築の復興)様式で作成されました。

   サン・マルコ広場

ドーモ広場からリカーソリ通りを北に進むとサン・マルコ広場に出ます。広場に出る手前にはアカデミア美術舘が在ります。