ガウディーは1852年6月25日カタル-ニャの銅器具職人の子として生まれ、バルセロナ建築学校を卒業し、繊維業エウセビオ・グエル・バンガルビの庇護の下注目を集める建築を手懸けました。

世界遺産『アントニ・ガウディの作品群』を紹介します。
   ・ グエル公園 
   ・ サグラダ・ファミリア 
   ・ カサ・パトリョ 
   ・ カサ・ミラ 
   ・ グエル邸 
   ・ カサ・カルベッツ 

   サグラダ・ファミリア贖罪聖堂

ガウディの生涯の仕事となったサグラダ・ファミリアは1882年にビリャールにより建設がはじまりましたが、翌年にはビリャールが辞任ガウディが引き継ぐ事となり建築プランが変更されました。
ガウディのプランでは5身廊、3袖廊のラテン十字のバシリカ形式の聖堂で、3つのファサード『生誕』『受難と死』『栄光』が在りそれぞれが『信徳』『愛徳』『望徳』の門を配し、ファサードを表現する彫刻が壁面に在ります。

地下鉄2、5号線「サグタダ・ファミリア(Sagrada Familia)」駅がすぐ前に在ります。

   カサ・パトリョ

グエル+と同じ繊維業ホセ・バトリョの依頼で彼の邸宅を改装した建物で、大きな窓のファサ-ドが美しいガウディの傑作です。
カサ・パトリョ』は1877年に建てられ、ガウディは1904年から1906年に改築した。
 改築により各部屋に曲線的なデザインを用い、タイルのモザイク、ステンド・グラスの装飾をした。

地下鉄3号線「パセッチ・ディ・グラシア(PASSEIG DE GRACIA)」駅の前。

   カサ・ミラ

『カサ・ミラ』はガウディ54歳のときに設計、直線部分の無い建物です。
 それぞれ異なる鋳鉄のバルコニーはガウディの協力者のジョゼップ・マリア・ジュジョールの製作です。 ペドロ・ミラの邸宅として1906~1910年に建築された、その外観から『ラ・ペドレラ(La Pedrera:石切り場)』と呼ばれています。  建物には円形と楕円形二つの光庭が在り此の庭を囲む石柱と外壁とが基本構造体で、一般的に間仕切り壁も床と天井を支えていた当時の構造に対し画期的なものでした。建物のバルコニー等にはガウディの協力者のジョゼップ・マリア・ジュジョールのデザインが見られます。

・ 地下鉄1、3号線「ディアゴナル(DIAGONAL)」駅からグラシア通りを南に。

  グエル亭入り口

ガウディの1886~1890年に繊維業で財を成し彼を生涯に亘り援助したエウセビオ・グエル・バンガルビの依頼で建築した邸宅、ガウディの初期の建築。
此の建物はバルセロナ市に寄贈され、演劇博物館でしたが、現在ガウディの建築『グエル邸』として公開されています。

2010年の訪問時には1階と地下のみ無料で見ることが出来ました。

※※※  ※※※

グエル家と親交があった繊維業のカルベッツ家の依頼で1898-1900年に建築された。
 建物は比較的ガウディの建築ではシンプルですが、バルコニー、屋上の煙突にガウディらしさが有ると言われています。
此の建物は見学出来ません。

地下鉄1、4号線の「ウルキナオナ(Urquinaona)」駅から北に約200メートル。
グラシア通りからも近いです。

ガウディーの住宅建築では初期の建築で、後のガウディー建築の特徴である曲線を用いたデザインは見られない。
建築主のビセンスがタイル業者でだったので、建物にはタイルだ多用されています。
此の建物は見学出来ません。

・ 地下鉄3号線の「フォンタナ駅(Fontana)」から北に100メートル、カルリネス通りを左に約200メートル。

   グエル公園

市の北小高い丘にイギリス風庭園住宅を建設する計画で造成されたが、2件しか売れず構想は失敗でした。
共同スペースとして造られた庭園、広場、散歩道等ガウディの独創的な芸術観が表れています。
1900年から1914年にかけて分譲住宅として造成されましたが。住宅はガウディの1軒を含め2軒しか売れませんでした。
施主のグエルの死亡で中止され、後にバルセロナ市に寄贈されました。
今は公園として無料で公開されています。

地下鉄3号線「レセップス(LESSEPS)」駅からトラベセラ・ディダルト通りを約500メートル、ララルト通りを左に登り坂を約500メートルです。