グラナダはイベリア半島で最後のイスラム王国であるナスル朝グラナダ王国の都で、ナスル朝に対する国土回復運動(レコンキスタ)はカスティーリャ王国とアラゴン王国が連合王国となり攻撃を強め1492年1月グラナダ王国は降伏しました。
その後カスティーリャ王国・アラゴン王国の連合王国の領土と成り、18世紀に入りスペイン帝国のカルロスⅠ世はグラナダを帝国の中心都市にしようとし、アルハンブラ宮殿も幾つかの改築、建築が行われました。

13世紀にナスル朝はグラナダを都としアルハンブラ宮殿の宮殿としての建設、拡張が行われ、アルハンブラ宮殿は此の時代にほぼ形造られました。
18世紀にカルロス1世は此処を自らの宮殿にする為に幾つかの建築、改築が行われ、カルロスⅴ世宮殿、サンタ・マリア教会はこの時代に建てられた。

  アルハンブラ宮殿

アルハンブラは城砦都市で、8世紀に栄えた『後ウマイヤ朝』は都をコルトバに置き此の時代には現在アルハンブラの西の端に在る城砦『アルカサバ』が建てられた。
13世紀に入り『ナスル朝』はグラナダを都としアルハンブラも宮殿として拡張され此の時代にほぼ形造られた。
1492年ナスル・グラナダ王国が降伏後はスペインは城代に管理を任せていたが、18世紀にカルロス1世は自らの宮殿に使用と幾つかの建築、改築が行われ、カルロスⅴ世宮殿、サンタ・マリア教会はこの時代に建てられた。

ヘネラリフェから望む『アルハンブラ宮殿』
 左端に『サンタ・マリア教会(Iglesia de Santa Maria)』、中央後方に『カルロスⅤ世宮殿(Palacio de CarlosⅤ)』と手前に『王宮』の建築郡が見えます。

  アルカサバ(Alcazaba)

アルカサバはアルハンブラ宮殿の中でも最も古い部分です。9世紀末『後ウマイヤ朝』の時代この地に要塞が作られアルカサバと呼ばれていた、 後に『ナスル朝』がグラナダを都としてアルカサバも拡張された。

  アルハンブラ・王宮

ナスル朝(1238年~1492年)はグラナダを都としこの地に王宮を建てました。
王宮は『メスアール宮』『コマレス宮』『ライオン宮』等で構成され、宮殿の天井はムカルナスと呼ばれる鍾乳石の丸天井で、幾何学模様を繰り返す装飾が施されています。

『王宮』の見学は入場券を購入時に指定された時間に此の門からガイド付きで始めます。

   カルロスⅤ世宮殿

ナスル朝の都グラナダがレコンキスタにより1492年陥落しました。アルハンブラはその後1718年カルロスⅠ世がグラナダをスペイン帝国の中心にしようと新宮殿等の建築がおこなわれました。
カルロスⅤ世宮殿(未完成に終わる)の建築、モスクをサンタ・マリア教会に改築、サン・フランシスコ修道院の建築等が行われました。
『カルロスⅤ世宮殿』は四角い外観に丸い中庭を持つルネッサンス様式の建物です。

モスクはをサンタ・マリア教会に改築され。サン・フランシスコ修道院の建築等が行われました。

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  ヘネラリフェ

『ヘネラリフェ』は『アルハンブラ宮殿』の北側に谷を隔てた山の中腹に作られた「別荘」です。

・ イサベル・ラ・カトリカ広場(Plaza de Isabel La Catorica)からパバネラ通り(Calle Pavaneras)通る30番のバスで